『ロスト・バケーション』の考察は孤立と生存本能

映画『ロスト・バケーション』(The Shallows)は最初は単純なサバイバルスリラーかと思ってましたが、現代の神器スマホがないなかで助けを求めることができない状態での「孤立感」と「生存本能」への執念がテーマになっていますね。原題では浅瀬という意味のThe Shallowsのとおり、岸まで300Mのところでの
孤立、大けがなど困難を乗り越えるだけでなく、孤立感さえも恐怖を増幅させるところがスリラーっぽく緊張感を高めます。美しいビーチと恐ろしいサメへの対比がなお一層の緊張感を高め、見ている観客を主人公とともに共感して、サメと戦う勇気も一緒に振り絞る感動もあります。

ロストバケーションにおいての考察を拾い出して解説していこうと思います。

なぜナンシーはあのビーチを訪れたの?
なぜナンシーが医学生である設定が必須だったのか?
ナンシーがカモメと接するシーンの意味は何だったのか?
ナンシーがサメとの最終対決で見せた計画について教えてください
映画全体を通してのテーマはどういったものなのか?

目次

なぜナンシーはあのビーチを訪れたの?

この浅瀬にクジラの死骸が辿り着いたのを追って巨大サメが現れます。

ロケ地となったロード・ハウ島

このドラマの冒頭では、なぜ医学生ナンシーがこのビーチを訪れたのかを母親の死を見つめながら語っています。
病気に勝てなかった母親との絆を再確認するつもりがサメとの格闘により、生存本能を強く持つことができることが勇敢さを物語る上にこの映画の考察に見ることができます。

なぜナンシーが医学生である設定が必須だったのか?

ギル

ナンシーがサメにがぶりとやられた怪我を麻酔なしで縫合するシーンや、応急処置を施すシーンは、医学生であることで現実的かつ納得のいくものになります

このドラマの信ぴょう性をもたせる意味では、単に若い女性だけではドラマの広がりはなくインパクトもないですよね。
でも医学生という設定は、キャラクターの信ぴょう性だけではなく、、

  • 物語の進行においても重要度が高い
  • 彼女の行動や決断がより現実的であり、その上説得力も出てくる

結果 医学生としてのサバイバルストーリーが深く観客を引き込む要因になりますよね。

ナンシーがカモメと接するシーンの意味は何だったのか?

ひとりぼっちに岩礁にしがみつくナンシーとおなじくケガを負ったカモメとの孤独感的な共有は、このドラマの緊張と緩和を与える効果があるように感じますね。
自分の独り言のように話しかける感じやケガで飛べないカモメを医学生ならではインターンぶりの疑似治療は観客もこのときはしばしの緊張が解けている感じがしますね。

自分が感じたカモメとの共存では

  • 孤独感の共有
  • 共感とケアの精神
  • 自己回復のプロセス
  • 自然との連帯感

カモメと接するうちに、孤独感を共有することでそれを和らげたり、さらなる勇気をもらうとうい内なる決意を観客に示す役割があったのではないかと考察しますね!

ナンシーがサメとの最終対決で見せた計画について教えてください

ナンシーはサメとの最終対決におけるプロセスは見事だと思います。
もちろんそこには内なる勇気、知識、そして生存本能への行動力が効いています。

冷静な判断と決断力は結果的には理系である医学生という伏線がありますが
それを見事に回収して、クライマックスでは観客をくぎ付けにする見事な展開だったと思いますね。

モッチー

ナンシーとサメとの最終対決は、自分も彼女と戦っているという一体感があったように思いますね。
勇気、知識、そしてサバイバルスキルが集約された意味での考察があります。

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映画全体を通してのテーマはどういったものなのか?

この映画での考察としては

孤立と生存本能

にあると思います。

現代の神器であるスマホさえもなくひとり孤独に岩礁に乗り上げた孤立
絶望の2文字を感じつつも、成長とともに生存本能が育った行くというプロセスにこの映画の考察部分があると思っていま

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